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  • ちゃぼのラテンな日々。

  • 投稿者:ちゃぼ
  • 投稿日:2010年 7月13日(火)18時13分28秒
 
毎月発行しているちゃぼ広報に載せている、文章。
これを楽しみにしている読者多数。
書き続けて10年以上。とりあえず2010年3月からのをここに。

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  • [20]
  • 11年12月 「みんなの力で明るい未来を。」

  • 投稿者:ちゃぼ
  • 投稿日:2015年 1月11日(日)09時21分41秒
  • 返信
 
 今年は長く歴史に残る年となるはず。あまりにも被害の大きい災害だからこそ、前向きに回復していく力も強くしていかねば。後年、2011年から時代が始まった!と語られるようになるといいな。浪費と消費の時代から大事にする時代へ、原発から自然エネルギーの時代へ、競争から共生の時代へ、などなど。震災後の前向きなこと、探すまでもなく身近にたくさんある。

たとえば、子供たちの精神的強さ。ちゃぼ家はあの日あの時、家族みんな別々の場所で被災。ふーあーゆーは童夢でちゃぼのいない震災当日の夜を過ごしていた。さらに1カ月後に発生した直下型余震(いわきはこっちの方が揺れが大きかった)、ちゃぼは首都圏に滞在中だったので3人だけで余震が続発する停電の夜を過ごした。特に小さいふーあーは相当な恐怖があったはず。でも2人ともそんな体験がなかったかのように心が安定している。毎日夜はぐっすりと眠っているし、夜に余震があっても起きない。大物なのか鈍感なのか…不安を口にすることも全然なく、とにかく親としてはものすごく助かっている。

震災2カ月後に1回目を開催した被災者支援の音楽会。たくさんの賛同者が結集してものすごい力となった。3回開催して、45万円以上の募金が集まった。何かせねば!という熱い思い、助けたいという暖かい思いをみんなが持っていることを実感。お金のやりとり以上に気持ちの交流を大事にした。被災者へのメッセージと被災者からのお礼の言葉を読み返すと、双方の気持ちが伝わってきて心が暖かくなる。人間ってほんとすばらしい!と。その音楽会、4回目は12月に開催する。また熱いメッセージがたくさん集まることを期待。

被災者を思いやる気持ち、首都圏でもたくさん触れることができた。震災直後の「計画停電」、名前とは裏腹な東電のあまりの唐突・無計画ぶりには腹を立てながらも、被災地の苦労を思えば停電で済むなら易いもんだ!と進んで受けれていた。さらに、首都圏在住の多くの音楽仲間が被災地に出向いて、がれき処理や汚泥除去に汗を流してくれていた。その日は現地に行くので参加できない…と申し訳なさそうに被災者支援音楽会出演を断ってきた仲間がたくさん。そのたびに、いや、そちらの活動の方がはるかに有意義ですから!とちゃぼが恐縮していた。あらためて、被災地を代表して「ありがとう!」。

原発を含めたエネルギー問題も、この震災を機にまったく新しい方向性となっていくことを期待する。産学官民の総力を挙げて…といいたいけども政治には当面まったく期待できないことが明らかになったわけだから、その歩みは産学民の力でどんどん推進していくのがよいな。原発に頼らず、なおかつCO2も削減していく方向性、みんなの力で目指していけるはず。11月末、ちゃぼは車を替えた。アイドリングストップ機能や電気アシストモーター等、最新の環境性能はすごい!と実感。そんな技術革新も明るい未来をつくっていく力になるはず。政治が何も決められずにもたもたしてる間に、日本は勝手に原発を全部廃止し京都議定書も難なく達成!こんな近未来、いいね。

冬の寒さを感じると震災を思い出す…っていう人、多いだろうな。ちゃぼも震災というとまず猛吹雪の夜道が鮮明に思い出される。毎年この時期は震災を思う季節となっていくはず。同時に、あの後こんなにもいい世の中になったよ!と実感できる冬であってほしい。そんな期待を持って2012年を迎えたい。みんなの力でよりよい未来にしていこう!ラテンのリズムとともに。


  • [19]
  • 11年10月「みんなの『心の復興の早さ』に感謝。」

  • 投稿者:ちゃぼ
  • 投稿日:2011年10月30日(日)07時42分17秒
  • 返信
 
 ちゃぼ企画・主催の年1回の催し「明日へのラテンな音楽祭」、今年は初めて首都圏で開催することに。ちゃぼ指導の障害者施設・サークルを一堂に集めて総勢200人くらいでわっと叩いて騒ぐ。ちゃぼにとっても1年でいちばん楽しみなひととき。年1回この場で顔を合わせる施設メンバー同士のいろんな交流も楽しい。別のチームの演奏に得意の楽器を手にして参加してくる子、毎年お互いの演奏を聴くことで「あの子すごい」だとか「あの人いつも楽しそうでいいね」など、相互にファンもできてきたりして。

 1回目の開催は、ちゃぼが教え屋専業化して2年目の2005年。当時いちばん指導施設が多かった茨城県で開催。2回目以降はいわきで毎年ずっと開催してきた。昨年は小川中体育館に5つの団体が集結、そして郡山のスチールパンバンドと小川中吹奏楽部、そして泉中合唱部の友情出演で盛り上がった。

 神奈川県で初の開催。かなり今までとは雰囲気が変わるのでは!と期待している。神奈川で指導する障害者施設は現在4箇所。さて何チーム集まってくれるかな。いちばん近い茅ヶ崎市内の2チームはぜひとも参加してもらおー。演奏では参加できなくても、都合よい各チームのメンバーに気軽にあそびに来てもらいたいもんだ。はるばる郡山からHANAチームが参加してくれる。施設でマイクロバスを所有していることもあって、遠征は得意。今までにも、いわき・会津・仙台・北茨城・水戸・東海…たくさんの遠征演奏を体験。それでも、今回の神奈川はかつてない遠距離。結成11年目の大迫力のサンバを首都圏の人たちに披露できることをみんな楽しみにしている。ちゃぼも楽しみ。

 ちゃぼの音楽仲間の出演も、誰がどんなことをしてくれるか、楽しみ。9月末現在まだ確定していないけども、ブルーグラスのバンドなんかいいかなーと考えて、音楽仲間のバンドに出演依頼中。ブルーグラスならではの明るい楽曲に加えて、マンドリン・バンジョー・フィドル・ドブロ…普段なかなかお目にかかれない楽器をたくさん見ることができるもんで。あと、いわき同様に地元の学校にも出てもらえたらな。ちゃぼの母校の中学校なんかいいかも。

 さて、いわきでの音楽祭開催は…。震災後間もない頃に、これは今年の開催はできないかなーと判断、各チームのスタッフと今年は開催しないことを確認して、ずっとそのままでいた。そしたら。「今年はいわきでの開催なし」の記事を載せたちゃぼ広報9月号を見た各方面の関係者から「えー、開催しないのー?」の声が続々と。指導チームのメンバーからも「今年も出たいよー」の意志表示が。考えてみれば、震災直後こそ混乱していたけど、それも各チームとも早々に乗り越えて、どこも日常的にちゃぼ講座を開催して叩いて楽しんでいる。中止にする理由も必要もないよなーとあらためて実感。いつまでも心の奥で震災を引きずっていたちゃぼに対して、震災からの心の立ち直りはみんなの方がはるかに早かったということ、前向きなみんなに感謝。というわけで、いわきでも開催しますよ!。来年1月か2月、あるいは3月に。

 というわけで。今年は茅ヶ崎といわき、ちゃぼの拠点2ヵ所で開催することに決定。うれしーね。震災復興の気分を盛り上げる意味でも、どちらも盛大に開催したいもんだ。両方とも、現在集めているいわき市内の中学校生徒たちの寄せ書きをわーっと掲示してみんなに元気・勇気・希望を与えていくつもり。それもぜひ、演奏と合わせて楽しんでもらえたら。乞うご期待。


  • [18]
  • 11年9月「得たものもたくさん、この半年。」

  • 投稿者:ちゃぼ
  • 投稿日:2011年10月30日(日)07時40分0秒
  • 返信
 
 震災から半年。ものすごく長く、同時にあっという間でもあった。ちゃぼの周囲もいろんなものが変化した。これまでやってきたことができなくなったり、逆に新たに始めたこともたくさん。リセットそして再始動の6カ月。

 まずは、いわきで6年続けて開催してきた「明日へのラテンな音楽祭」、開催を断念。ちゃぼが指導する障害者音楽サークルを一堂に集めての年1回の演奏会。昨年はこの9月に開催、今年も小川中学校の体育館を借りて盛大に開催しよう!と考えていたけど、ざんねん。今年は充電、来年こそは再び。

 宮城への進出も完全に頓挫。国道6号線と常磐線があったからこそ対応できた場所、原発周辺の通行止めが解除しなければ継続は不可能。仙台市内の2つの講座は順調に受講者が増えていた。そして石巻…受講決定者も何人か決まって、4月から開講するぞーとみんなで動き始めていた。なんとも残念。

 居住地の移転という大きな出来事も。茅ヶ崎のじじばばとの同居はかなり前から「いつかはそうせねばな」と考えていたけど、今回実際にやってみて、その引っ越し作業の煩わしさと大きな出費はかなりのものだった。とても平時には思い立てるものではなかった。震災が背中を押したことで同居がかなった。

 さらにこんなことも。震災前、いわきの仲間でラテンのユニット結成に向け動いていた。約10年前に当時の仲間と結成したことがあって、あの時の楽しさと感動を再び!と。ちゃぼ講座の教え子・ひぞっこ3人組・音楽仲間…と賛同者が続々と集まって、よし3月から始動だ!とまさに華々しくスタートしようとしていた、その時だった…。震災後、メンバーが何人かいわきを離れてしまって、また人選から仕切りなおし。年内には再始動したいな。

 だけど失ったものばかりではない。震災によって新たに始まったこともいくつか。茅ヶ崎での生活もそうだし、音楽がらみの取り組みもいろいろと。

 被災者支援の音楽演奏会をやろう!と決めて動き始めたことで、たくさんの人の暖かさ・善意・思いやり・感謝の気持ち…に触れることができた。殺伐とした世間の中で忘れかけていた大事なものを取り戻せた気分。年内にあと2回開催する。催しの名前は、年1回の「明日へのラテンな音楽祭」のかわりに開催という気分だったので、「音楽祭」を「音楽会」と替えて命名した。

 さらに。いわきでの開催を断念した、その「明日へのラテンな音楽祭」、首都圏での開催が正式に決定。震災前から、今年は首都圏でもやってみようと計画してきた。震災後はいわきでの開催がなくなったのでなおさら、首都圏では何がなんでも開催しよう!と。8月末になってようやく、理想的なよい場所を見つけることができたので、開催に向け具体的に動き始めたところ。場所は茅ヶ崎駅のすぐそばにあるビルの3階。首都圏で活動している施設のみんなにあそびに来てもらお。そして福島・茨城からも、長年活動しているみんなに来てもらって、先輩としての演奏を披露してもらおー。今からわくわく気分。

失ったものがいっぱいの大災害…どこも悲しみばかり目につきやすい現状ではあるけど、震災によって新たに発見したこと・再認識したことも各地でたくさんあっただろうし、新たに動き始めたこともいっぱいあるはず。うれしいことにたくさん目を向けてますます前向きにいきたいなーと思う半年目。


  • [17]
  • 11年8月「茅ヶ崎といわき、2つの拠点。」

  • 投稿者:ちゃぼ
  • 投稿日:2011年10月30日(日)07時37分33秒
  • 返信
 
 7月末、ちゃぼ家は4人で茅ヶ崎に移住した。神奈川県人となるのはちゃぼにとって22年ぶり、そして相方ゆーは10年ぶり。2人ともすっかりいわきの生活に溶け込んで、ゆーなんか言葉づかいもちゃぼ以上にいわきっぽくなった。そんな2人でも神奈川に戻ってみると、やっぱり風土にすんなり馴染める。生まれ育った土地の空気感みたいなものなのかな、心地よいものがある。

 では、初の神奈川県人となるふーあーは。2人とも生まれる前から茅ヶ崎や横浜の実家をよく訪れていたからか、とりあえず茅ヶ崎の家にも違和感なく居る。まだ学校が始まってないからお友達はいないけども。学校から渡された宿題を「こんなのまだ習ってないよー」なんて言いながらやっている毎日。学校が始まったらどんな生活になっていくか。新しいお友達いつ連れてくるか。

 じじばばとの共同生活は、たぶん今までの4人だけの生活よりも合理的で楽しく便利なものになっていくと思える。ふーあーゆーもじじばばも、これまでの「お客さん」から同居家族としての立場に変化したけど、すごく自然に移行できている。当然お互いすごく気を使っているんだろうけども、よかった。時代の流れはたぶん、核家族化に向かっていた時代を経て、逆に今は大家族化に向かっているんじゃないかなーと思う。エネルギーや過疎化等の問題からも、分散して生活するよりも集中するメリットの方が尊ばれる時代になっていくと確信する。特にあの震災以降さらにそれが加速していくのでは。

 いわきのちゃぼ童夢は荷物を運び出して、がらーん…状態。その生活感のない童夢の様子を見て、ひとりでのんびりとこの建物を造っていた頃を思い出した。自分の家は自分で造る!の夢に向かって造り始めた童夢。何もなかったところに自分の手によって形ができあがっていく、その喜び。そしてなにより、造り始めて5年目、なんとか住める状態にまでなって、移住が実現できた瞬間は人生最大のうれしさだった。その頃のわくわくした気分に今戻った。

 造り始めてこの夏でもう丸17年。長年の雨・風・雪・地震に耐えてがんばっている。ここ最近、あらためて大自然の厳しさを実感する。ほんと人間は到底かなわない非力な存在だなーと認めて、それでもがんばって生き続ける。童夢にもそれと同じような想いを感じている。大自然のまっ只中に生まれて根付いてさまざまな試練に耐えて成長して生き続ける。そんな中でこの10年間、ちゃぼ家の家族4人を守り続けてくれてありがとー。そして今後もよろしく。

 そのちゃぼ童夢は。これからも福島の活動拠点として使い続ける。これを機会に、音が出せるような部屋をつくろっかなと考えているところ。それもちゃぼの住む家作成当初の夢だった。そこまで手が回らないうちに家族が増えて中断したけども。今回、また独りでの生活となったから、遠慮なく手を加えられるぞ。家族みんなで生活していた時は、あまり変なものつくると相方ゆーに怒られちまうという厳しい現実があった。家の不完全さはもうどーしようもないことだから我慢してくれていたけど、新たに何か(例えばふーあーの2段ベッドを)造ろうとすると「もう造るの禁止!」とだめ出しが即座に。それだけ素人作のものは見栄えも悪くて使いにくいってこと。それはちゃぼも認めるとこだからその場では反発しなかった。晴れて?ひとりになったからおーいにやるぞー。…ゆーが今度童夢に来た時に、「なにこれー」と呆れること間違いなし。その時は笑って「ごめん」しよ。はははー…今から笑う練習しとこ。


  • [16]
  • 11年7月「ついにこの日が…でも今までどおり。」

  • 投稿者:ちゃぼ
  • 投稿日:2011年 7月10日(日)08時22分3秒
  • 返信
 
 3月の震災は、たぶんすべての東北人に大きな影響を与えた。ちゃぼも震災を機に、家族への思い・人生観・ビジネスに取り組む姿勢…いろいろ新たな思いを持った。困っている人を支援したい!との思いは震災前まではほとんど気づかない感情だった。そんな中で、ひとつの大きな決断を。拠点を家族みんなで茅ケ崎へ移すことにした。以前勤務していた会社が進出したことで住み始めたいわき、家を建てて家族が増えて、会社を辞めてからも気候・風土・人柄が気に入ってずっと住み続けていた。いわきを出るのは22年ぶりとなる。

 決断の理由は。この震災であらためて、両親を大事にしなければ!と実感したこと。ちゃぼが茅ケ崎の実家を出てから、2人きりの生活を25年も続けている。80を超え、じじは緑内障で視野が狭くなって久しく、ばばは膝関節の痛みで行動が制限されてきた。そんな中でも毎日それぞれ元気に出歩いて行動している。この6月にも2人だけで新幹線使って宮城へお墓参りに行ってしまうくらい元気。そんな両親と残された時間を一緒に生活していこうと決めた。いつかはそうせねばなー、とずっと前から考えてはいたことだけど、仕事も家もあってなかなか実行できず…のちゃぼの背中を震災が後押した形。相方ゆーも以前からずっと考えてくれていて、今回も移住・同居を先に提案してきた。そうすれば横浜のゆー実家も近くなることでいろいろ協力しあえるし。

 震災による活動場所の拡大停滞も決断の理由のひとつ。今は震災直後ということもあって、新規の活動場所拡大が難しい現状。復興していくことで今後への期待もすごく大きいけど、その機を待ってここしばらくは首都圏に注力していくことにした。もちろん、今行なっている福島・茨城の活動はずっと継続していく。茅ケ崎といわきでの二重生活は今までどおり。きっと感動的で劇的な被災地・福島の復興と発展、これからもかかわり続けていくもんね。

 ちゃぼとゆーの今回の決断に対して、ふーあーの反応は。いわきでの友達との別れは正直ちょっと淋しそう、でもまたあそびに来れば会えるし!と茅ケ崎での新たな生活を楽しみにしている。転校経験のないちゃぼとしては、小3と小1で転校するって、かなり大変なことだろうと想像するけど、2人ともすごく前向き。ほんとに子ちゃぼたちは自立しているなーと頼もしくなる。

 ということで、ちゃぼ家は3世代での生活となる。ちゃぼの両親は昭和ひと桁の戦前生まれ。戦中・戦後の貧しく厳しい苦難を体験した世代。今回の震災では、その世代がまだたくさん存在していることで、現役世代は精神的にもものすごく救われたはず。ちゃぼも震災直後、両親の動じない態度にかなり救われた。すべてのご年配者は「命の恩人」、大事にしていかねば!という雰囲気に日本中がなっていくといいな。不幸ばかりが目立つ大災害だからこそ。ふーあーもじじばばからいろんなものを学び吸収して、糧としてほしいものだ。

 今生活している手づくりの「ちゃぼ童夢」、結婚前のゆーが初めて来たときを鮮明に思い出す。雑草をかき分けないと歩けない庭、がらくただらけで足の踏み場もない室内、建物はすきま風いっぱい・裸電球の照明・配線も配管もむきだし状態・断熱材さえも入ってない…とても人が住む家とは思えなかったらしい。それでもゆーがそこに住むこと決意して、ずっと生活し続けてきたことで、かなり家らしく進化してきた。今回また童夢はちゃぼだけの生活に戻ることになる。この「家」状態を維持し続けねばな。…こりゃ大変だ、がんばる。


  • [15]
  • 11年6月「震災後も福島に居続けて見えること。」

  • 投稿者:ちゃぼ
  • 投稿日:2011年 7月10日(日)08時20分5秒
  • 返信
 
 ちゃぼの活動、震災直後は福島県内を中心に激減状態だったけど、かなり再開してきている。復興の動き、着々。ただ今後しばらく、宮城県への対応が難しい現状となってしまった。いわきから仙台への最短ルートである国道6号線もJR常磐線も、原発周辺の通行が全くできないことで、仙台へ移動する距離・時間・費用すべてが2倍以上となってしまったため。これから宮城で広く活動していこうと動き始めて、カルチャーセンターの受講者も順調に増えていただけに、なんとも残念。ほんと、今回の原発事故は余計なもの!と実感。

 震災の被害に加えて原発問題が加わっていることで、福島県は最大・最悪の被災地であるといえる。神奈川県出身のちゃぼが、震災発生時にここ福島県に居たという事実、それにどんな意味があるのかなーとずっと考えている。答えはみつからないけど、あまりにも甚大な被害を目の当たりにして、とにかく何かできることで行動だ!との思いを強く持てたことがすごく大きい。あれこれ考えたり論争したり隠したり責任転嫁する前にね!と声を大にして言いたいけど、やっぱり言う前に行動だな。ちゃぼならではの活動として、震災被災者を支援する音楽会を首都圏で継続して開催していく。来年以降もできる限り。

 そして、震災後の福島で思うこと。東北は絶対に復興していかねばならない使命がある。第一には日本最大の食糧供給基地として。たぶん東北人すべて、そう思っている。だから海水をかぶった水田も、壊滅的被害の魚港も、地元の人は復興に向けてがんばっている。いわきの童夢周辺も田植えが始まった。毎年見慣れた水田風景が今年も展開されていて、すごく安心できた。今後どこかの地域で大きな災害が起こっても、東北があるから大丈夫!と早くなっていくために。東北は日本人の心の故郷、いつでも帰省できるようにしていくぞ。

 もうひとつ、原発事故後の福島に居続けて強く思うこと。福島をチェルノブイリにしてはならない。広島・長崎の復興の姿に学んでいかねば。原爆投下直後はかなりの放射線量だったんだろうけど、今は広島産・長崎産の農作物や海産物の放射性物質含有を心配する人はいないだろうし、広島・長崎への訪問で被ばくを心配する人もいないはず。数百年は草木も生えない…などと絶望的だった場所があんなに復興し発展し、それぞれ独特の文化を形成し、住む人は地元を誇りに思っている。そんな姿に福島もなっていくことが必要。立入禁止の続く不毛な地になんかしてはいけない。そのためにちゃぼもできることで尽力していくつもり。それが震災時に福島に居たちゃぼの運命かなーと思い始めているところ。これから始まる福島の復興・発展の様子はものすごく劇的で感動的なものであると確信する。そこにずっと寄与し続けていきたい。

 TV等で報道される被災地の子供たちの元気な様子に、全国の人が勇気づけられている。ここいわきで日常的に見る子供たちの姿にも、希望を与えるパワーを実感する毎日。子供たちは震災後も変わらず明るくて元気いっぱい。みんな、心は少なからず痛めているだろうけど…。よし、その元気を発信しよう!と動き始めた。発信の手段として、まずは子供たちのメッセージを寄せ書きした旗を作成中。各地でのおまつりや催しに参加した時にそこで掲げて「がんばっているいわき」を見せていくつもり。まずは小川中学校で作成した。今後も指導に行った学校で順次作成予定。被災地の子供たちの元気はきっと日本を動かす力になる。希望を全国へ発信していくよ!ラテンのリズムにのせて。


  • [14]
  • 11年5月「被災地いわきから見えた明るい未来。」

  • 投稿者:ちゃぼ
  • 投稿日:2011年 6月 8日(水)23時12分3秒
  • 返信
 
  震災から1カ月以上が経過。ここいわき地区はまだまだ、本格的な復興とならないのが現状。とにかく余震が多い。いわき南部では3/11よりも4/11の余震の方が直下型だったので被害が大きかった。ちょうどひと月後の節目の日に本震よりも大きな地震!復興に向けて動き始めていたいたいわき市民にとって、その心理的ショックはかなりこたえるものだった。それに加えて原発といういちばんのやっかいもんが存在することで、液状化による道路の段差、屋根瓦の落ちた民家等の補修もなかなかすすまない。津波被災地はなおさら。そんな現状の中、幸い物的・人的にも被害のなかったちゃぼにできることは…と考え、ちゃぼなりのやり方でできる支援活動を行なうことにした。まずは阿佐ヶ谷音楽会、それ以降も継続して動く予定。被災者の明日のために。

  この震災で、非常時に備えておく必要あるものが見えてきた。物流が止まるとほんと生活に困ることを実感。過度の買い占めに加担しないためにも、まずは水や食料品の備蓄。新型インフルエンザの時には2カ月分くらい必要らしいけど、震災時は10日分くらいかなと。ガソリンは貯めておけない…常に満タン状態にしておいてなるべく車を使用しないってのが最善。生活用水として風呂の残り水。停電に対しては、手回し充電式の懐中電灯とラジオ。電池も手に入らない今回の震災では充電式だからこそ重宝した。それとソーラー充電タイプの感知式玄関灯。停電と同時に点灯するように室内に設置した。

 原子力や石油エネルギーに依存しすぎない生活が必要になってくるということも見えてきた。原発トラブルで苦しめられるのはもうこれっきりにしてもらいたいし、継続してCO2も削減していく必要あるはず。すぐに代替エネルギーに替えられない現状では、まずはひとりひとりが順応するしかないか。この夏、それがまず試される場となると思える。猛暑でも計画停電の必要なしで乗り切れたらきっと日本の未来は明るい。しかも、忍耐やがまんではなく楽しみながらそんな生活できるのが理想。ひと昔前がそうだったように、夏の暑さ・冬の寒さともっともっと仲良くしていけばよいはず。ちゃぼ家なんかエアコンないからずっとそんな生活だぞ。…自慢にもならないけども。

 ちゃぼの知人でひとり、地震雲を発見して見事に予言した人がいる。地震前日につぃったーに書き込みした発見の文中には、地震雲の方向は三陸!という地域まで明記されている。すごい。ちゃぼは科学的なことは無知だけど、だからこそ雲の地震予知もありでいいと思う。なんたって雲のある大気と地球って、たぶん地球ができたころからずっと一緒にある密な関係。つまり一心同体、ならば連動してもぜんぜん不思議じゃないと純粋に思える。誰か徹底的に研究してくれたらうれしい。そして確率の高い地震予知として早急に市民権を得てほしい。今回の震災でもそうしていたら、被害を大幅に減らすことができたのかも。地震雲の予知情報が出たら該当日周辺は休日、みんなで安全な場所へ移動して過ごす…なんておおらかさが地震大国・日本の明るい未来の姿では。

 そしてなによりも、地域の連帯力がいちばん心強い!と実感した。ちゃぼ童夢のある一帯は、震災で水道管が相当箇所破壊された。だけど、業者が動き始める前に近所のみんなが力を合わせて、水道管部品調達・穴掘り・修理・漏れチェック…と行なって数日後に見事復旧させた。この連帯力がある限り、日本の未来は明るいはず。政治や大企業なんぞよりも、まずは身近から。


  • [13]
  • 11年4月「被害も復興も語り継いでいこう。」

  • 投稿者:ちゃぼ
  • 投稿日:2011年 5月 5日(木)06時59分28秒
  • 返信
 
 2011年3月11日。おそらく世界史に長く記録され続けるであろう運命のその日、その時。ひとりひとりに鮮烈な体験があったはず。ちゃぼにも。

 会津若松の施設「あいの里」でいつもどおり爆笑いっぱいの講座を楽しんで、おわったー、さあみんなでお茶だ!と華やいだ雰囲気の時、それはやってきた。今まで体験したことのない規模の揺れに、何もできず立ち尽くすのみだった…。揺れが小さくなってそこで初めて、スタッフのみんなと利用生たちの避難誘導を。周囲は、電柱や建物倒壊・液状化・道路陥没等発生していたけど、今思えば会津は比較的被害が少なかった。でも電車もバスも全面ストップ。電車で日帰り予定だったちゃぼは帰りの足を失った。でもいわきの方が震源に近い、家族と童夢が心配…交通機関の回復を待っていたらいつまで待たされるか。よし、歩いて帰ろう!と迷わず決意、17時ころ歩き始める。

 いわきまで140km、明日の夕方ぐらいには着くかなーと計算。小雪から吹雪、気温マイナス3度…真っ暗な夜の道をひたすら東へ。辛いなんてぜんぜん思わなかった。津波で被災した地域に住む人たちのことを思い浮かべ、その苦労に比べたらこんなもの!と。コンビニがある度に中に入って暖をとってはまた歩く…のくりかえし。時間が進むごとにコンビニの品数が少なくなっていくのを実感。途中、心やさしい3人のドライバーさんに乗せてもらったりしたこともあって、翌日830に童夢着。大幅に時間短縮ができた。歩いた距離数50km以上、約10時間ちょっと。相方ゆーはそんなちゃぼの行動を半ばあきれていたっけ。もちろんその努力を喜んでくれはしたけども。

 ふーあーゆーは無事。素人手づくりの童夢、被害は…転倒防止金具を仕掛けていなかった本棚がひとつ倒れたけど、それ以外は建物も無事。ふーは「おとーさんのつくった家はこわれない、すごいねー」だって。ちゃぼも同感。

 しかし、ちゃぼが日常的に訪れる場所が軒並み津波の被害甚大…磯原・大津・小名浜・久ノ浜・富岡・新地・名取・仙台・松島…そして石巻。震災の6日前に石巻を訪問して、講座開催の準備とデモ演奏をイオンモール石巻で行なってきた。その時に見ることができた、たくさんの地元の方の笑顔、暖かい拍手、講座の立ち上げに尽力してくれたスタッフ、海の近くに住んでます!と言っていた体験講座参加の男性…今はただ、無事であることを願うのみ。

 童夢のある地域は断水、そしてガソリン不足・広範囲で停電と、ライフラインの被害も大きい。首都圏も停電が続き、日常生活にかなり影響を与えている。あらためて、今までの生活がものすごく恵まれていたことを実感。これを機会に、日本の生活スタイルに大きな変革が起こるのでは…と想像する。電気や石油エネルギーに頼りすぎない快適な生活の手段や技術がどんどん浸透して明るい未来に…失ったものが多い災害ゆえ、学ぶものもいっぱいでなければ。

 たぶん500年に一度の大災害、それを直接被災地で体験…これってちゃぼに与えられた使命かな、という気分で、すべての出来事を後世に伝えるべく、目と頭に焼きつけているところ。もちろんこれからもずっと。復興して発展してさらなる安全が増していく様子を、しっかりと記録していくつもり。小さい時にこの災害に遭遇したふーあーは、さらに長い期間語り継いでいってくれるはず。この貴重な経験を、ぜひ今後の人生に活かしていってもらいたい。


  • [12]
  • 11年2月「人と出逢って、人生を考えた正月。」

  • 投稿者:ちゃぼ
  • 投稿日:2011年 4月25日(月)06時55分22秒
  • 返信
 
 年末年始は今年も神社のお手伝い。「今年も良く鳴る」縁起物に仕立てたラテン打楽器、みんな昨年以上に積極的に叩いてくれた。今年は年明け早々の参拝者が少なくて、甘酒のふるまい作業も夜間はかなりのんびり。その分朝になってから参拝者が続々と。本殿前には常に行列いっぱい、甘酒も昼過ぎには空になった。売店をお手伝いしたのは今年も湯本高校吹奏楽部打楽器担当の子。昨年7月に学校へ指導に行った時は、おとなしい子だなーと思えた1年生。父親の話によれば、とにかく打楽器が大好き!吹奏楽を始めた小学生の時から迷うことなく打楽器志望だったと。うれしーね。よし、昨年みたいに空き時間にみんなでぽこぽこ叩こう!…と本人もすごく楽しみにしていたけど、彼女は夜ではなく朝からの売店担当だったため、ひっきりなしに訪れる参拝者の対応で空き時間がつくれないまま終わってしまった。すごく残念そう。そんなにも打楽器が大好きとは、ちゃぼにとってうれしすぎる存在。この神社はいつも、素敵な出逢いを与えてくれる。感謝。ならば、今月あたりに打楽器を叩ける場を設定してあげたいなと考えているところ。正月の無念、はらしてあげましょー。

 そして2日は雪いっぱいの岩手・花巻へ。ちゃぼ義父の作編曲家・杉村俊博氏の故郷凱旋ライブに参加してきた。その時に、ちゃぼよりもかなり若いひとりの男性とお逢いした。日本中を放浪しながらユニークな視点で写真を撮り続けるカメラマンたくちゃん、ライブの様子をいっぱい撮ってくれた。翌日にホテルでの朝食時に隣り合わせで座り、お互いの活動について会話が弾んだ。そのうちたくちゃんは、ちゃぼの音楽活動・人生観・住んでる家・家族…すべてに対してすごく面白がってくれて「こんなに個性的で面白い人に出逢ったのは初めて!」と大喜び。本人のwebろぐにもその日のうちにちゃぼのphotoを載せて「会えば会うほど会いたくなる人…」と書いてくれていた。こんなに面白がってくれるなんて、すごいことだ。ちゃぼ、今年は男性に人気か。

 そんな花巻は相方ゆーの両親が生まれ育った地。親類や古くからの友人がわっと集まってのにぎやかな新年だった。そうやってちゃぼが相方の両親や親戚と過ごしている時、ふーあーゆーは神奈川に帰省していた。茅ケ崎のちゃぼ実家にも泊まってじじばばと江ノ島水族館に行ったりして楽しんだ。つまり、この正月のちゃぼ夫婦はそれぞれお互いの両親を入れ替えて行動していたということ。ちゃぼ家ではごく日常的な光景だけど、周囲の既婚者たちの中には驚く人も多い。そうなのかなー。相方の両親を避けたり嫌ったりする理由も必然性もメリットもない、むしろ仲良くした方が楽しいし得だし心が平和じゃん。

 などと書いていた時。身近な音楽仲間が、実の親に対して複雑な想いを抱き続けていると知ってびっくり。相方の親は確かにいろいろあるにしても、実の親は尊敬し愛されて当然の存在と信じて疑わなかった。それが当たり前ではない人がいる現実に衝撃。その人は幼少時代から、複雑な事情により親の愛を感じられぬまま今日に至っている。それでも今、自分の子供には同じ思いをさせまい!と子供・相方・その両親と愛情いっぱいに接している。すごい。ちゃぼがそんな境遇だったら、きっと愛を知らない冷たい人間になっていたはず。過酷な半生だった分、これからはうーんとラテンに生きていってほしい。そのお手伝いができるなら喜んで。その人も、ちゃぼと出逢ってから悩むことが少なくなったと言っていた。うれしい。ラテンで人助け!最高の活用方法だ。


  • [11]
  • 11年1月「2011年もこのスタイルでいくよ。」

  • 投稿者:ちゃぼ
  • 投稿日:2011年 4月25日(月)06時53分30秒
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 このビジネスも8年目に突入。世の中ますます厳しさが増している中、ちゃぼの存在を買ってくれるみなさんのおかげで継続して仕事をさせてもらっている。そんなすべてのみなさんに心からの感謝!の気持ちで今年も明けた。いわき市南部にある八幡神社で迎えた2011年、まずは神殿に手を合わせて「ありがとうございます」。そして「今年もさらにこの路線でいきます」と。

 本当に今の情勢は厳しい。若者の就職先がないなんてとんでもない世の中だこと。未来に夢が持てる姿にしていかねばな。今のちゃぼに何ができるのか…ラテンのリズムと打楽器で気分だけでもラテンに。根本的な問題解決にはならないけど、沈んだ気分を少しでも明るい方向にしていくってすごく重要なことだと思える。微力ながら、明るい未来づくりに今年も貢献していきましょ。

 ちゃぼにとって、2011年はさらなる飛躍の年。昨年から本格化させた首都圏と仙台への進出、どちらも少しづつ着実に広まっているところ。ますます広範囲に展開していくぞ。そしてエリアを日本全国に広めることができたらうれしい。ちゃぼのような存在、人口の多い首都圏でも稀だということが確認できたから、たぶん全国どこにもほとんどいないはず。首都圏での活動は、全国へ向けての情報発信につながると考えている。ひろまれひろまれ。

 ちゃぼならではのやり方で昨年ひとつ明確になったことが。首都圏には腕のいい有名なミュージシャンがたくさんいるのに、カルチャーセンターのようなところで教えている存在は皆無状態。どうしてなのか理由がこれまでずっとわからなかった。その疑問に知り合いのミュージシャンが答えてくれた。演奏を仕事にしている人は、曜日で拘束されたくないのが本音だから!というもの。なるほど、納得。ならば、ちゃぼの方向性も明確にできるな。一流のミュージシャンたちができない分野だからこそ、演奏活動をメインとしないちゃぼが担当すればよいわけだ。毎月ごとに曜日で動くのが基本のちゃぼスタイル、真似できる人は少ないってこと。ぜんぶまとめて引き受けていこう。

 そんなちゃぼの活動スタイル、地味で地道で堅実だよねーと地元の音楽仲間が評してくれた。ちゃぼの性にも合っている。確率の少ない大儲け…みたいなのは苦手(だから宝くじも買ったことない)。ちゃぼの道、これでよいよい。

 教える活動って、腕前や実績・知名度・年齢etc.が必ずしも絶対条件ではない!ということも昨年確認できた。ちゃぼそのものを評価して気に入ってくれて使ってくれる!といううれしい存在をもっともっと増やしていくもんね。地味で地道で堅実で、そしていっぱい目立つ。今年はここ重要ポイント。

 活動範囲がますます広まったら、ふーあーゆーと過ごす時間も少なくなっていくか…。でも、その分一緒にいる時間を大事にすればよい。どうせ数年後には「ちゃぼ元気で留守がいい!」と3人そろって言うだろうから。あ、最も重要なことは、やはり住んでいる地元がビジネスでも基本・いちばん大事。

 就職難、リストラ…労働意欲があっても働く場がないというくやしい世の中。ちゃぼの存在が生き方の参考になってくれたらいいな。企業に就職するだけでなく、人生いろんな選択肢があるよー!って。そういう意味でも、みんなの心を少しでも明るくしていきたいもんだ。みなさん、今年もよろしくです。


  • [10]
  • 10年12月「いろいろあった今年、来年もさらに。」

  • 投稿者:ちゃぼ
  • 投稿日:2011年 4月25日(月)06時51分49秒
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 早くも12月。ラテン打楽器教え屋専業化7年目の今年、うれしいことがいっぱいあった。そんな2010年を回想して、来年への展望を書いてみよう。

  なんといっても首都圏進出を本格化させたのがいちばんのトピックス。昨年10月より月1回の定期的な講座が横浜で始まったのを皮切りに、4月からどどっと拡大。カルチャーセンター10か所、障害者施設4か所で定期開催することになった。さすが首都圏、広まるのも早い。この調子で来年も。さらに今年は仙台へも初進出。こっち方面も来年どーんと広めていくもんね。

 日立・自遊塾と郡山・HANAの指導、今年でちょうど丸10年。自閉症者7名の余暇活動サークルとして結成され指導を始めた自遊塾は、各メンバーの個性と才能を生かした演奏で、各方面から絶賛される存在に成長した。発達障害者の可能性を大きく広げ開拓する希望の星として、これからも活発に活動を行なっていく予定。そして、自遊塾のよきライバルともいえるHANA、サンバ打楽器を駆使しての迫力の演奏が地元で大人気。今年だけでも20回近くの演奏をこなし、仙台・いわき・会津・水戸…と演奏活動もますます広範囲に。多くの仲間の目標・あこがれとして来年からも光り続けよう。

 ちゃぼ指導の障害者音楽チームを一堂に集める「明日へのラテンな音楽祭」も今年で6回目。初めて中学校の体育館をお借りしての開催、それがすごくよかった。来年も同じかたちでできるといいな。そして、首都圏でも障害者施設の指導が増えてきたことから、来年は首都圏でも音楽祭を開催するつもり。その時はもちろん自遊塾とHANAも遠征して演奏だ…と夢はどんどん膨らむ。

 ちゃぼ主催の歌姫ライブ、2回開催。昨年から通算して4回開催したことになる。いわきにいる歌姫たち、みんな魅力的で実力もある、一度まとめて堪能してみたいなーという思いで企画し、昨年5月に開催した。そしたら、お客さんも出演者もすごく喜んでくれて、双方のリクエストにより4回もやることとなった。ボーカリスト同士ってなかなか一緒になる機会がないようで。ちゃぼだからこそできる企画かな。とにかく大好評ゆえ、来年以降も開催していこ。

 16歳の秘蔵っ子3人組と出逢えたことも今年の大きなニュース。秘蔵っ子1号は、ちゃぼ広報を見ただけで「この人に習いたい!」と感じたらしい。その感性に感謝。3人そろって音楽祭や歌姫ライブなどのちゃぼがらみ企画にお手伝い参加してくれて、とにかく助かっている。なかなか接する機会のない世代、こうして交流ができるってすごくうれしいこと。来年早々に、演奏指導中の「けいおん!」を初おひろめする予定。みなさん、暖かい応援よろしくー。

 相方ゆーとも一緒になって今年で10年。毎日いろいろあるけど、とりあえず10年もった。さて何年続くか。11月の「いい夫婦の日」に「生まれ変わっても今の相手と一緒になりたいか」という企画をラジオでやっていた。ちゃぼは…迷うことなく今の相方ゆーを選ぶ。その理由は。男女問わず人と濃密な関係になるのがとにかく苦手なちゃぼゆえ、夫婦というとてつもなく濃密でうるさくてやっかいでうっとおしくて…の面倒な関係を強いられるような存在、世の中に(世が変わっても)2人以上いらない!というもの。さて、ゆーはこのちゃぼの気持ちを喜んでくれるかな…。みなさん、今年も大変お世話になりました。来年もふーあーゆーともども、こんなちゃぼをよろしくです。


  • [9]
  • 10年11月「伝えるぞ、Bならではの世界。」

  • 投稿者:ちゃぼ
  • 投稿日:2010年11月28日(日)22時52分57秒
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 ちゃぼの人生のこだわりは「楽天B人」。明るく前向きに、最上級のAではなくBを目指す・Bでいる。そうすると「適当」に「いいかげん」にという人生となる。どちらも一般的にはあまり良い意味で使われていないけども、本当はすごく肯定的な言葉。でもその一般的解釈も面白いので、けっこう好きな表現。これがAを目指すとなると「最高」に「全力」で…となるのかな。Bには、Aを目指す者にはたぶん体験できない心地よい世界がある。それを伝えたい。

 ちゃぼ企画・主催の歌姫大集合ライブ、秋の回も大盛況。7人の女性ボーカリストが華麗に競演、たくさんの人に楽しんでいただいた。出演してくれた歌姫たちもすごく楽しんでいた。感想として「ちゃぼ企画ものは笑顔や笑い声がいっぱいなので毎回楽しい」と。うれしーね。とあるお客さんは「同じ出演者を他の催しでも見たけど、その時とは雰囲気がぜんぜん違ってて、心から楽しんでいるんだなーってわかった」と。へえ、他の催しよりもちゃぼ企画ものの方が楽しめるってことなんだろか。そりゃいい。Bの世界、伝わってるか。

 同じ出演者が同じ演目をやっても、主催者によって雰囲気ががらっと変わるってことあるのかな。たしかに、演奏中の席の移動禁止・私語禁止となると固い空気になってしまうだろうし。そこまでいかなくても、主催者がどんな雰囲気をつくるかで演奏する側も気分が変わってくるだろうな。5月のちゃぼ主催ライブに出演してくれたひとりは、飲食物持ち込み自由にしていることについて「このへんのゆるさがちゃぼさんらしい」とすごく好意的に評してくれていた。そんなゆるさも雰囲気をつくっていくのでは。ゆるさはまさにB世界。

 ひとりの音楽仲間が10年くらい前のことを話してくれた。クラシックピアノを厳しい先生に習っていた時に、ちゃぼ指導の障害者音楽サークルでピアノのお手伝いをすることになって、自由な雰囲気の中で心から楽しめる音楽の世界を知って、目覚めた!と。私語せず物音立てず身動きせず聴く音楽、演奏側も聴く側も踊る・叫ぶ・走り回る…の音楽。対極に位置するような音楽世界、当然場の雰囲気もまったく違う。どっちがいい・悪いではなく、両方の存在を認め尊重した上で、どの程度の雰囲気が好きなのかが重要だと思える。

 学校の吹奏楽も、Aとはいえないないかもだけど、ちゃぼの音楽と対極に位置するような存在。そんな世界にちゃぼのB的なものを注入することで、子供たちの音楽観がひろまっていってくれたらいいなーと指導に行くたびに思う。

 吹奏楽コンクール日本一という高校の演奏をTVで見た。打楽器パートの男子がコンガをいい音で多彩な奏法で叩いているのにびっくりした。日本一の学校は、こういう吹奏楽の本道から外れた「ラテンな」分野にも手を抜かず指導を行き届かせているんだなーと感心。ちゃぼも全国大会金賞の常連校に複数指導に入ってるけど、そこまで叩ける生徒はいない。日本一との差はこのように大きいものなのかも。よーし、せっかくちゃぼが指導するんだから、叩ける子をいっぱいつくろうじゃん。そして、ラテン打楽器が上手い=ちゃぼの指導!などという評判を全国に向けて確立していきたいものだ。…あれ、ちゃぼもAを指向しているみたい…専門のラテン分野はどうしても熱くなる。ははは。

 ビジネスで展開する以上、取り組む姿勢はAでなければ。腕前や提供する内容は相変わらずBだけども。それでよい。適当にいいかげんに、そして真摯に。

  • [8]
  • 10年10月「大満足・何か起こる…9月の演奏。」

  • 投稿者:ちゃぼ
  • 投稿日:2010年11月28日(日)22時50分7秒
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  9月は楽しい演奏いっぱい。最初の土日はとことんラテンを楽しめた。まず4日は福島市で開催のサルサダンスパーティ。東京から有名なダンスインストラクターが来てレッスンとパフォーマンスを。演奏は仙台のサルサバンド。ちゃぼは「ダンサーのためのラテン打楽器講座」を開催。そしてダンス会場で叩いてみんなを踊らせた。会場に並べたちゃぼの打楽器、みんな喜んで叩いてくれること。子供たちも素敵な女性ダンサーたちも。参加者の中にちゃぼの存在を知っている方がけっこういてうれしかった。遠く山形から参加のグループも「お逢いできて光栄です」と。すごい、北の方にも知られてきたようで。

 翌5日は北茨城でラテンのライブ。p奥村尚代さん、bアレハンドロさんという超強力なラテンミュージシャンと共にトリオで演奏。リハなしのぶっつけ本番で合わせた。サルサ独特のピアノのモントゥーノ、これまたサルサ独特・頭の音を取り去って隠したかのようなベースライン…その音世界はちゃぼにとってもう天国・極楽。昨年までは同じ催しで5人以上のメンバーでライブを行なってきたけど、少人数だとラテンのリズムそのものがよりストレートに強調されてスリリングになる。お客さんたちもその迫力に大喜びだった。

  明日へのラテンな音楽祭、今年も大盛況。200人以上もの方が集まってにぎやかに開催できた。初めて学校の体育館を使用。準備の段階で、今年はどこで開催しようか…とあっちこっち検討した。昨年開催のLATOV、そしてアリオスの各ホールも候補に。だけど、音響・照明・舞台装置・オペレーター等々の完備したところを借りても、それらをいっさい使うつもりのないちゃぼ企画ものではぜんぶ無駄(というか邪魔なもの)になってしまう…アリオスも早々に対象外化。学校の体育館なんかベストなんだけど、学校施設はなかなか借りることが難しいと聞いているし…だめもとで相談してみるか!とまずは地元の小川中へ。そうしたらすぐにOKの返事が。もう大喜び。きっと長年の吹奏楽部指導の賜物、学校関係者に感謝。実際に開催してみると、やはりすごく理想的なスペース。遮光カーテンも使わず陽光で明るいままの場内、演奏者もお客さんたちもお互いよく表情が確認できる。客席とステージの境もなし。そんな場がベストと思っているところ。なんたって、演奏するみんなは照明使わなくてもきらきら光っているもんね。来年もこんなかたちで開催するぞ。

  25日、筝奏者・山本亜美さんとのDuoライブ開催。前々から、亜美さんとちゃぼが顔合わすと必ず何かが起こる!というジンクスがある。3年前はライブ当日に大嵐、共演者があわや来れなくなる事態に。また同じ年、7年間乗ったちゃぼの愛車が致命的トラブル発生で廃車になったのは亜美さんとのリハ直後のこと。そんな2人のひさびさの顔合わせ…今回もまさにその連続だった。まず23日、練馬の亜美さん宅でリハ。みなさんご存知のとおり、その日はそれまでの真夏的陽気が一気に冷え込んでなおかつ大雨。でもまあ、この程度ならどってことないじゃん…と思えた。そしてライブ当日の25日は台風接近。しかしそれも直撃ではないし、今回は(これでも)安泰か…と。そうしたら。亜美さんの車がトラブルでエンジンかからない!と。そのおかげで楽器の準備が遅れて当日リハの時間が大幅に減ってしまった。やっぱり何か起こった!ライブのねたにもしてお客さんたちも大笑い。さて次に顔合わせる時は何が?日時が決まったら世の中の平和のため、事前に広く告知しておこう。

  • [7]
  • 10年9月 「夏らしい夏、思い出もいっぱい。」

  • 投稿者:ちゃぼメール
  • 投稿日:2010年11月 5日(金)15時44分46秒
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 猛暑・酷暑。連日35℃以上、体調悪くする人多いのもわかる。暑いの大好きなちゃぼにとっても、こう連日では…。でも、車のエアコンぜんぜん使っていないのはいつもどおり。炎天下に駐車して車内で昼のおべんと食べることも日常的。まだまだだいじょぶだな。そんな暑い8月、いろいろあったなー。

 いちばんの催しは、なんといっても小名浜でのラテンな4日間。今年初開催の実験的な企画。12日から15日にかけて、午前中から夜まで、連日たくさんの観光客のみなさんに叩いて楽しんでいただいた。家族連れの子供たちはもちろん、大人の方も興味津々で手を伸ばしていた。そして演奏しに来た仲間もいっぱい。会場の美食ホテルスタッフも、連日出演する豪華な顔ぶれに大喜びしてくれた。次の連休の時にもまたぜひ!と。こちらも喜んで。すごく広い範囲へのPRにもなるし、今後の連休時の過ごし方のひとつとして定着させるのもいいね。そして。4日間フル参加していろいろお手伝いしてくれた秘蔵っ子3人組に感謝。彼女たちも「すごく楽しかったー」と。よかった。

 その秘蔵っ子へのドラム指導も8月に3回開催。専門外の楽器だけども、ちゃぼ流の指導がすごく合っている様子。こういうパターンを叩いたら6つ数えて7つ目がシンバル、そのあと4つ数えて最初のパターンに戻る…みたいな教え方。このやり方で、3回だけの指導で課題曲をCDに合わせてまるまる1曲叩けるようになった。ちゃぼもびっくりの上達ぶり。子供たちや障害者のみんなに好評のちゃぼ流指導はいろんな人にも有効なようで、うれしいこと。そんなある日、秘蔵っ子2号・3号が「ちゃぼ先生ってギターやベースもやったことあるって言っていたよね」と。…ということで、この2つの楽器もちゃぼが指導することになった。つまり、3ピースのロックバンドをまるごと指導…しかも3つとも専門外、これは大変だ。でも、すべてちゃぼ流の教え方でやっていくもんね。きっとどうにかなっていくはず。彼女たちの今後にご期待を。

 18日には北茨城・第二センター講座の様子をAMラジオのIBS茨城放送が生放送で取材してくれた。レポーター田谷律子さんのインタビューに応えるかたちで主にちゃぼが出演。演奏の披露では、みんなの打楽器に合わせてかっちゃんが自慢の歌を聴かせた。また、メンバーへのインタビューではかずえちゃんがしっかりと質問に答えていた。そうして約10分間の出演が終了。みんな、おつかれさん。県内のいろんな人から「聴いたよ」「よかったよ」と。

 21・22日は小名浜ビッグバンドフェス。21日はちゃぼの打楽器講座。郡山のHANAメンバーも参加、みんなで自由に叩いて楽しんだあと演奏を披露した。会場いっぱいに轟く大音響に集まった子供たちもびっくり。翌22日は6つのジャズビッグバンドの饗宴。各チームに知ってる顔もたくさん、いわきへようこそ。ちゃぼの愛弟子・山田さん、3つのバンドで叩く大活躍。演奏はもちろん、笑いをとる場面でもしっかり拍手をもらっていた。その成長ぶりがすごくうれしかった。笑いの部分はちゃぼの指導ではないけども…。ちゃぼはフィナーレの1曲でコンガをぽこぽこ、師弟共演ができたぞ。

 その他この8月は。いわき・幼稚園新任職員研修、日立・親子向け講座、水戸・舞踊劇団創公演、いわき・自由空間夏まつり…楽しいこといっぱい。今後、首都圏や仙台でもいろいろ増えていくだろうから、来年の夏はさらに期待。

  • [6]
  • 10年8月 「大台、ますますちゃぼらしく。」

  • 投稿者:ちゃぼメール
  • 投稿日:2010年 9月 8日(水)05時59分20秒
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 この8月、ちゃぼはついに50の大台に突入する。40代もついに過去になってしまうな。ここ10数年間ずっと、50歳になったらこんな姿になってたい!という目標があった。「すっごい男がいたもんだー」の歌にされるような「すっごい」人間になるぞ、と。実際になってみると…まだまだぜんぜん歌にもならない人生。あっさりと目標変更、次は60歳でなれることを目指そう。昔からの言葉「40・50は洟垂れ小僧」は本当にそうだなーと思える。そんな未熟もんのちゃぼ、もともとちょっと変わり者、丸くなる気配もなし。50代になってもとがった人生だろうな。そんなこだわりをここに書いてみよ。

ちゃぼの人生の基本は常に「楽天B人」。明るく前向きに、最上級のAではなくBを目指す、Bで居続ける。そうすることで人生にかなりの余裕ができる。その余裕がちゃぼにとってすごく大事。今の世の中、ほとんど意味のない競争があまりにも多すぎると思える。富を独占しようとする競争、どうでもいい最新機能を盛り込んで売ろうとするメーカー同士の競争、そんな最新機能を誰よりも先にほしがる競争、道路で少しでも前に行こうとするドライバー同士の競争、駐車場で少しでも近くに停めようとする競争…そんな争いに参加するだけ損、メリット何もないもんね。いつでも余裕でいたい。それで心も平穏。

そしてもうひとつ、ちゃぼにとって大事なことは「貧乏ひまだらけ」。お仕事どうですか?と聞かれた時は必ず、この言葉で応えている。あるいは、「忙しいんですね」と言われた時は、「いや、ひまだからこそできるんですよ」と応える。ひまである、ということは、それだけ成長できる余地がたくさんあるということ。現状に満足していると同時に成長する可能性も充分にある、そんなすごく前向きな言葉と思っている。これが「貧乏ひまなし」だと、現状に不満-だけどどうにもできない…みたいな袋小路に気分がはまってしまう。さらに、忙しぶっているような気分にもなってしまう。いつでもひま人でいたいちゃぼは「貧乏ひまだらけ」がやっぱりよい。そしてこの言葉には、富も仕事も独占するつもりはなく、競争より共生を目指す…そんな思いも含めている。

 常に何者かを明確にしておく。これもちゃぼが戦略的に利用していること。安心感と信頼感を醸成するのが目的。犯罪はほとんどすべて身分を隠すことで発生する。あるいは犯罪ではなくても、ネットでのいやがらせなども、匿名にすることで横行している現状。そんな世の中だからこそ、身分を明確にすることで、そんな卑劣なことはしない存在であることを端的にPRできると考える。乗る車にも、ちゃぼの名前・ビジネス内容・携帯番号を明記してある。見知らぬ土地に車を停めることも多いから、あの不審な車は何?みたいな近隣住民の不安を少しでも取り除けられるかなと。あるいは運転マナーも気をつけるようになる。あのドライバーはマナーがいい!みたいな評判ができてくることで、今のビジネスにもよい効果となって現われてくると確信する。この程度の身分の明確化による困ったことは何もない。いつでもちゃぼの行動、見張っててくれておーいにけっこう。それが効果的なPRにもなるわけだし。

 50代、ますます頑固化。でも、柔軟化している所もあるぞ。ラテン打楽器以外は扱わない!とこだわっていたのが、ドラムも教えるようになったり。とにかく、念願の50代。「すっごい」人間でなくても、年相応に魅力ある存在になっていきたいもんだ。こんなちゃぼに引き続きおつきあいよろしく。

  • [5]
  • 10年7月 「可能性を広げてくれる、空気感。」

  • 投稿者:ちゃぼメール
  • 投稿日:2010年 9月 8日(水)05時57分26秒
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 6月、ちゃぼは子供たちになぜか人気だった。まず小学生。2日、音楽教室ミューゼのメンバー約10名といわき・渡辺小学校へ演奏に行った。メンバーには若い女性もたくさん、数少ない男メンバーはそれほど目立つ存在でもないはずなんだけども。いつもどおり演奏、プログラムがすべて終了して控え室に戻ると、5年生の男の子たちを中心に「ちゃぼさーん!」コールが。で、出て行ったらみんなが歓声と共にわーっと駆け寄ってきて、握手・ハイタッチ・腕ひっぱる・抱きつく・ひげに触る・「かっこいー」「おもしろーい」「また来てねー」などなど。これはいったい?過去にも子供たちに面白がられることはけっこうあったけど、今回の喜ばれぶりはかつてないほどのレベル。ちゃぼ50歳目前にして子供たちのアイドルに!?不思議…だけども正直すごくうれしい。

 もうひとつ、今度は高校生。5月に開催した一般向け講座に、高1の女の子が母親に連れられてお友達と一緒に受講してくれた。終了後に母親からめーるが。「娘は自然に心穏やかに楽しめたようでとても喜んでいました。」それはよかった。そして後日、また母親から連絡が。「娘は本当はドラムをやりたがっているのでドラムのレッスンをぜひ。」あらま。それはざんねん、ちゃぼはドラムは専門外なので女性ドラマーも含めおすすめのいい講師いっぱい紹介しますよ!とアドバイス。そしたら「娘はちゃぼ先生から習いたいと言っている。」これにはびっくり。相方ゆーは「教えられるの?」と心配顔。確かに。だけど、ベーシックな初歩的内容ならばできるかな。なにより、ご指名なんだから喜んで。で早速、6月からドラムの個人レッスンをスタート。彼女は超初心者、それでも叩くことを心から楽しんでいる様子。母親からのめーるも「すごく喜んでいます」と。よかった。7月もレッスンを3回開催する予定。

それにしても、なにゆえちゃぼなのだろか?の問いに母親は「ちゃぼ先生が教えてくれること、技術や話すことも含めてほとんどすべて、自然に吸い込んでいる様子。たぶんちゃぼ先生には余計な気遣いなく練習に集中できる空気感があるんだと思える。」なるほど、空気感ね。今まで存在を意識することもなかった。初めてその存在を考えてみた…ちゃぼの空気感ってどんなものなのか、自分ではぜんぜんわからない。でもそれは、人と人との心を自然につないでくれる、ものすごい力を持っているかんじ。ちゃぼが小学生に人気だったのも、もしかしたらこの空気感か。母親はちゃぼの空気感の一例として「ゆるーい、だけどもリズムはしっかりと刻む」と表現してくれた。ふーん。ゆるーい雰囲気…今回は喜ばれたけども、見る人によっては「真剣さがない」「のろま」みたいなマイナス評価にもなるな。空気感ってなかなか面白そうな存在だ。

 ちゃぼは今まで、ドラムも和太鼓も、今大人気のジャンベもカホンもまったく教えていない。理由は…上手く演奏できない、ゆえに教えるポイントがつかめてないから。でも今回、その苦手な分野を、苦手と承知した上でそれでも教えてほしい!と依頼が来た。この出来事はちゃぼにとってとにかく画期的なこと。人に教える活動は、必ずしも腕前や経歴・実績がすべてではない(年齢でもない!)という現実があることを実感できた。これも、空気感というやつのなせる技なんだろうか。ちゃぼの活動に大きな可能性を与えてくれるうれしい存在だ。よーし、今後はドラムでもなんでも教えていくぞ。…7月のレッスンに向け、慣れないドラムに苦闘中の日々。ま、それもいい経験だな。

  • [4]
  • 10年6月 「奇跡なこと、うれしいこと。」

  • 投稿者:ちゃぼメール
  • 投稿日:2010年 7月13日(火)18時32分6秒
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15日、ふーの小学校で運動会。子供たちが紅組と白組に分かれて競い合う。ま、たかが小学校の運動会、どっちが勝っても…などと思っていたけど、その「冷めた」気分を180°転換させるすごい展開になった。ふーの紅組は午前の種目が終了した段階でダブルスコア以上の大差をつけられた。午後のたった3種目だけで挽回することはまず無理だよね、テレビ番組のような一発逆転的なボーナス企画もないし…などと保護者たちも話し合っていた。相方ゆーの計算では、紅組が優勝する確率はたった4%。そんな雰囲気で午後の種目スタート。ひとつめの競技も点差を象徴するように紅組が劣勢。仕方ないよな…と見ていたら、あれ、だんだん追いついてきてるよ。そしたらゴール直前で逆転、紅組勝利。それを境に、もう白組優勝は決まった…的な会場の雰囲気が一変した。高学年による紅組応援団も俄然熱が入る。ふーがはりきって出場した次の玉入れ競技、なんとたった2玉差で紅組の勝ち。これでさらに会場はヒートアップ。いよいよ最後の種目、高学年のリレー。出場4組中紅組チームの1-2ゴールなら優勝だ。その紅組の勢いは奇跡を起こした。見事にそれを勝ち取って紅組が大逆転優勝。もう学校中が歓喜と感動と興奮の嵐。この運動会は、子供たちにとってもすごくいい体験となったはず。あきらめずにがんばることの大切さ、みんなで力を合わせることで達成できること、そして、可能性低くてもなせばなる!などなど。ちゃぼにとってもいい教訓となる運動会だった。

 神奈川県北部をあいさつ回りしていた時のこと。相模原にある障害者施設を訪問して帰ろうとしたら、事務所の奥にいた男性スタッフがちゃぼを駆け足で追ってきた。「私も打楽器やっています。ちゃぼさんはyoutubeでよく見ています。よく似た人が来たなーと思ってました。資料を見て本人だと知って会いに来ました。こんなところにまで来ていただいて光栄です。」と。思いがけないところにこんなうれしい存在が…感激。youtubeにあるちゃぼ動画、見てくれてる人ほんとに多いようで。見知らぬ地にもちゃぼのことを知っている人がいるなんて、まるで有名人じゃーん。あらためて、ネットの力はすごい。

 4月末に指導を行なったちゃぼの母校・茅ヶ崎の鶴が台中での話。ラテンのリズムで楽しんだ「後輩」たち、もしかしたら親はちゃぼの級友!なんてこともあるわけだ。と思ってみんなに聞いてみた。「今年50歳になる人はちゃぼと同年だから身近にいたら教えて」と。そうしたらひとり、「近所に住む親戚のおじいちゃんが…」だって。ちゃぼの世代はみんなの親を飛び越えてその上かいな…みんな爆笑、ちゃぼがっくし。でも本人のおじいちゃんでなくてよかった。さすがに50歳で中学生の孫はないよね。あと2カ月でちゃぼも大台。

 郡山・HANAチームの演奏リーダーを長年やっていたみなこから21日に電話が。自分の意志でHANAを抜けて(本人によれば「卒業」!)ちょうど1年。HANAに戻りたいんだけどいいかなー?とちょっと遠慮気味に。理由は聞かなかったけども、もちろん大歓迎。リズムの要として、指揮役として、つまりちゃぼの代役として動くことができたみなこの抜けた穴は大きかった。復帰してくれてよかった。早速6月、仙台とっておきの音楽祭、郡山愛育園まつり…と演奏があるので助かる。そしてなにより、再びちゃぼ不在でも演奏できるようになった。これが大きい。ちゃぼの都合に関わらず演奏の予定が組めるもんね。演奏する姿にファンも多いみなこ、復帰してくれてありがと。

  • [3]
  • 10年5月 「4月下旬の故郷でのある日。」

  • 投稿者:ちゃぼメール
  • 投稿日:2010年 7月13日(火)18時30分44秒
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仙台のボサノバシンガー・izauraさん(日本人女性です)が横浜で歌うよ!と聞いて、日時を調べたらちょうどちゃぼが上京している時。というわけで聴きに行ってきた。お逢いするのは2年ぶり2回目、だけども歌を聴くのは初めて。すばらしかった。共演は小野リサのドラマー石川智さんをはじめすごい人たち。そしてライブの後半にはセッションタイムが。豪華な演奏メンバーと楽器で共演できる、うれしい企画。ボサノバの日だったので打楽器参加はブラジル系を扱う人が多かった。その中で、ちゃぼと同じくボンゴを叩く男性が。速いリズムのサンバの曲ではボンゴ同士の掛け合いで場を盛り上げた。そんな彼はちゃぼのことを知っている様子。まだまだ首都圏では知られていないはずだけど。どこかでお逢いしましたっけ?と聞いてみたら、実は初対面。でもなんと、youtubeのちゃぼ画像を見てくれていた人だった。「実際にお逢いできてうれしいです!」と。こちらこそ。こんな風に日本全国で、あるいは世界各地でちゃぼの存在は知られているのかな。うれしーぞ。ネットの力はすごい。

その横浜ライブの7時間前、茅ケ崎でのできごと。中学校時代の通学路にある商店街を歩いてみた。いわきへ移住してからの20数年間、ほとんど訪れることがなかった。同級生が住んでいた電気屋さんはおしゃれな喫茶店に変身。近付いて張り紙を見たら、毎月第4金曜日の昼にはジャズ生演奏をやると。いいね、聴ける日かな…と考えたら、これって今日じゃん!しかもあと10分後に開演じゃーん!!というわけで入った。フルート・バイオリン・ギターの3人に、歌いに来たボーカルが2名。そして、小物打楽器をたくさん持って初めて参加したという方が。ちゃぼの身分を明かしたら、「すごーい!」とみんなから大歓迎された。で早速、小物打楽器を借りて演奏に参加。お客さんで来ていた小さいお子さんにも叩かせたりして、いつもの「みんなで叩こう」状態に。そしてなんと、そのお店は障害者社会参加のための就労の場だった。仕事が一段落した障害者たちが続々とお店に出てきて、みんなでリズムに合わせて踊る叩く。お店のスタッフの方も「こんなに盛り上がったの初めて」とすごく喜んでくれた。おまけに、お店が所属する社会福祉法人のおまつりに参加ぜひ!と依頼まで。こんなかたちで活動フィールドが広がっていくなんて、すごく理想的。実力のある演奏メンバーたち(そのあと行った横浜ライブに「ほんとは私も出る予定だった」という人もいてびっくり)との出逢いも、今後の活動に生きてくるだろうし、打楽器愛好者と出逢えたことも含めて、まるで偶然のような今回のお店訪問は、ものすごく運命的なものだったのかも。

 もうひとつ、そのお店に入る15分前のこと。母校の中学校を35年ぶりに訪問。校舎も体育館も当時の姿、なつかしー。授業中でもあり、ちゃぼの案内を受付で渡しただけで出た。そのあとお店で盛り上がって夜には横浜ライブで騒いで、翌日朝に中学校から電話が。吹奏楽部指導をぜひ!と。善は急げ、いわきに戻る日を2日遅らせて30日に初講座を行なった。「後輩」たちはラテンのリズムに大喜び。月1回開催していくことに決定。こんなに早く決めてくれて、感謝。母校で活動できることも、すごくうれしい事実。

2010年4月23日。この日は未来のちゃぼにとってかなり重要な日となっていくはず。幼少時代から長年生活した地って、時にはうれしいミラクルをプレゼントしてくれるのかも。

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  • 10年4月 「ますます広範囲に数多くなると。」

  • 投稿者:ちゃぼメール
  • 投稿日:2010年 7月13日(火)18時28分43秒
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 仙台初進出。国分町にあるラテンなお店「ピッツァバール・ニコ」で、ちゃぼ講座とライブの2本立てイベントを行なった。2回に分けて行なった講座には多くの方が参加、みんな初めてラテン打楽器を手にして叩いて楽しんだ。続いて行なったライブは、仙台在住のメキシコ人ジョージ・エスピノザさんとのDuo演奏。ますます冴えるジョージさんの歌とギター、共演は2年ぶりだったけど、すぐにその頃の勘が戻ってすごくいい演奏ができた。お客さんたちも大喜び。お店のマスター氏は「こんなにレベルの高いラテン生演奏ができる人たちは仙台には他にいないだろう」と身に余る高評価。ちゃぼにんまり。

 3月は新たに神奈川にある3つのカルチャーセンター(CC)で体験講座を行なった。いずれも多くの受講者が楽しんでくれて、4月からの講座スタートが決定した。これで神奈川のCCは4箇所に。そして5月にはさらに6箇所で7つの体験講座。これらが決定したら、神奈川に7日間滞在となる。昨年後半に首都圏進出を開始した時から、まずは一週間滞在の講座数を目指そうと動いてきたけど、予想よりもかなり早く達成できそう。それにしても。CCはショッピングモールに入っていることが多い。これからは月に1回、神奈川のモール巡りができるぞ。…ちゃぼにとってはほとんど興味ないことだけども。

 仙台・横浜…どちらも大都会。でも、ちゃぼのような教え屋は少ない。有名ミュージシャンが演奏活動のあいまに行なう講座は楽器屋やスタジオ等であるようだけど、CC等では皆無。なぜだろか。実際に動いてみて推定した、楽器の準備や撤収が大変だからかなーという理由。講座ごとに楽器を両手両肩に抱えて車と講座会場を少なくとも3往復、それを2回…けっこうハード。大きなショッピングモールだと歩く距離も長いし。そんな作業もちゃぼにとってはすごく楽しいこと。だからできるのかな。ラテン打楽器の存在そして魅力、伝える人いないならちゃぼがその役を。…楽器運ぶ体力を維持させ続けねば。

 行動が広範囲になると、移動距離も大幅に増える。無理な移動スケジュールは立てないことが重要。が…しかし、早速3月にちゃぼの連絡ミスからやってしまった…夜に仙台ライブ、翌日昼に神奈川で講座!というとんでもない時間設定。仙台の前々日あたりから夜型生活パターンにして、目覚めてすぐ仙台ライブ、そのまま夜通し移動して明け方の神奈川で仮眠後に講座-という行動でなんとかのりきった。スケジュール設定は各拠点と連絡を密にして間違いや抜けがないように!という基本を再認識。もうあんな行動はしたくないもんね。

 多くの場所で叩き続ける生活。そうすると、たくさんの人がちゃぼの顔を覚えてくれる。各地の街中やおまつり会場などで、あるいはたまたまふらりと入ったお店で「ちゃぼさんですよね」と声をかけられることがこのところすごく増えた。見かけても声かけないことの方がきっと多いだろうから、実際にはもっとたくさんの人から見られていることになる。うーん、こりゃ悪いことできないぞ…どってことない。いつでもちゃぼの行動、見張ってくれておーいにけっこう。だからこそ車もあえて目立たせているわけだし。車はますます見かけても声かけられないから、どのくらい見られているか未確認。でもたまに「さっきすれ違ったよ」とか「今○○に来てるでしょ」とメールを送ってくれる人も。みんな見てくれてるねー、PR効果大きいぞ。そのうち、首都圏での目撃情報も増えるはず。…首都圏でも悪いことできないな…どってことないか。

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  • 10年3月 「2010年、こんな冬してるとこ。」

  • 投稿者:ちゃぼメール
  • 投稿日:2010年 7月13日(火)18時15分8秒
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 この冬、6年ぶりに薪ストーブに火を入れた。ふーがよちよち歩き始めた頃から、危険防止のため運転していなかった。ひさびさに見る火に感激。この燃える火を眺めているだけで何時間も楽しめる。ちゃぼはとことん怠け者と化す。自作の家に薪ストーブ…ちゃぼにとって最高の組み合わせ、しあわせー。そして。郡山に現在新築中の知人宅でも薪ストーブを設置すると。それはいいね。入居したらみんなで薪ストーブ囲んで「お泊まり飲み会」やろう!と盛り上がっているところ。怠け者化できる場所が増えるってのはうれしいこと。

 今年もいろんなドラマが各地で展開されたであろう、バレンタインデー。本命チョコをもらえない立場のちゃぼも、それなりにいくつかもらえた。しかも普段なかなか口にできない高級そうなチョコ、存分に楽しめた。ところで。バレンタインの定番ソングといえば、今までなぜかひとつだけだった。ようやく今年、それに対抗する曲がもうひとつできたような。Perfumeが歌うチョコレートの曲。彼女たちの作風はそれほど好きでないちゃぼにとって、この曲はメロディもアレンジも雰囲気もいいなーと思える。来年以降もいっぱい流れて定番化してくれたら。いつまでも1曲だけが金メダル…じゃつまらないし。

 金メダル…日本中が沸く冬季オリンピック。ちゃぼ家でもふーあーゆーが連日熱くTV観戦。ちゃぼは相変わらずぜんぜん見ていない。日本がいい成績とったらもちろんうれしいけども。そんなTVに縁遠いちゃぼが相方ゆーに大笑いされたひとこと。「はるな愛って男なの?」その発言が昨年秋ぐらいだったもんで、今まで知らなかったのー!と呆れられた。そんな話はまだまだいっぱいある。たとえば。Perfumeの歌ってる姿をTVで見たのは08年の紅白、あとにも先にもそれ1回だけ。…別にいいんだ、TVよりも薪ストーブの火の方が100倍は楽しめるもんね。と薪ストーブの前から動かない冬のちゃぼ。

 12日は大雪。ちゃぼがいわきに来て丸22年、たぶん最大の降雪量だったと思える。とはいっても20cmくらいか、雪国から比べたらぜんぜんたいしたことない量だろうけども。初めて道を雪かきした。除雪道具なんて常備してないから、木製すのこを使っての作業。いやー大変、こんな作業を日常的にやっている雪国の苦労はすごいな。ふーあーは大雪に大喜び、雪だるまつくって駆け回って転がって…冬季オリンピック選手の気分だったかも。

 1日夜は東京でも雪だった。たまたまその日、車で上京していた。夜遅くなるにつれてどんどん積もってくる雪…暖かいところに向かっているはずなのに、なんでいわきよりも雪国なんだよー!という事実がなんとも笑えた。冬タイヤでない車が多いせいか、積雪量と共に交通量が減っていった。雪少ないけどいちおう東北であるいわきナンバーの車が雪で事故していたら笑い者だ…地元での雪道よりも慎重に走った。ほんとこの冬は雪道を走ることが多い。

 それでも月1回通う会津地方へは、冬は電車を利用する。道中ずっと新雪・圧雪・凍結…なんてとても耐えられない。ほんと雪国に生活する人ってすごいなー、そんな環境で普通に生活するんだから。会津でお世話になっている音楽教室にある薪ストーブはでっかい。太くて長い薪が豪快に燃える。火力も暖かさも童夢のとは桁違い。この薪ストーブの火を眺めることが、冬の会津へ行く楽しみのひとつとして新たに加わった。会津でも怠け者化しちまうな。


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